満正寺の紋は、当寺を創建された、開基荒尾家の紋で、九曜紋といいます。

「曜」は輝く日月星紋の総称です。
 天体にきらめくすべてが、古代社会の人々にとっって、驚異であり、信仰の対象とされ、古代インドで発生した占い術二十八宿星を信仰する思想から天空に対する神秘感を畏敬したことが起源いいます。

 今日私たちが何気なく使っている曜日の日曜、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜の七曜制もその一つです。

 大きな丸の回りを8つの丸がとりまく九曜紋は、九曜星信仰という日月火水木金土の七曜に「羅ご(ラゴ)・計都(ケツ)」の二星を加えたもので、天地四方を守護する仏神としての信仰と、妙見信仰の星辰崇拝との関わりから多くの人に用いられた紋です。

 平安時代には「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝されました、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられ厄よけの重要な文様です。


 その配置は土星を中央に、水と火、日と月、木と金、羅と計 対称になっています。
  これに佛を配置して、

羅ごを不動明王・土曜を聖観音・水曜を弥勒・金曜を阿弥陀・日曜を千手観音・火曜を虚空蔵・計都を釈迦・月曜を勢至・木曜を薬師とし、これを図面に描いたものを「九曜曼陀羅」といいます。
  九曜は、天地四方を守護する仏神として信仰の対象となっています。

 九曜が家紋に用いられるようになったのは、上記理由の外に、妙見信仰(月星の項参照)から発生したものだとも言われています。

 江戸時代には、九曜紋は旗本、大名らに多く用いられました。

 

これらの、九曜にまつわる佛縁を会員のご加護としていただきたいと、「九曜会」と名づけました。